ホーム マガジン おいしいケーキ 創業100周年『コロンバン』が洋菓子にかける想いとは

おいしいケーキ

創業100周年『コロンバン』が洋菓子にかける想いとは

日本初のフランス菓子店として創業し、日本に洋菓子文化を広げた立役者であり、創業から現在まで、数々の大ヒット商品を世の中に生み出してきた老舗洋菓子メーカー『コロンバン』。今年、記念すべき創業100周年を迎えた『コロンバン』が洋菓子にかける想いを代表取締役社長・小澤俊文氏に伺いました。

左:株式会社コロンバン代表取締役社長 小澤俊文氏
右:聞き手の株式会社Cake.jp代表取締役社長 髙橋優貴

本物のお菓子づくりとは

高橋:Cake.jpを立ち上げた当初、お客様がケーキやスイーツを選ぶ際にデザイン性を重視していると感じており、またデザインが優れているとそれだけでSNSを中心に口コミが広がっていくなと感じていました。ところがサービスを続けていく中で、食べてまず美味しいというのが前提にあり、そのうえでデザインの良さがあることが大事だと思うことが増えてきました。情報の影響力も、ひと昔前まではマスメディアが強かったですが、今はYOUTUBEやXなど個人による発信力が高く、より本質的なものの方が広まるような世の中に変わってきているなと思います。

小澤:本物のお菓子って実に難しいんですよ。

例えばクリスマスケーキ。今も昔も、コロンバンのクリスマスケーキはカットすると、スポンジ自体が黄色いことにお気づきいただけると思います。黄色いということは、卵黄をたっぷり使っているということなんですね。美味しいものをつくろうと思ったら、卵黄をたっぷり使うことなんです。

コロンバンのショートケーキ

私どもは毎年クリスマス時期に、様々なメーカーのクリスマスケーキを取り寄せて研究しているんですが、多くのメーカーのスポンジが白いことに気がつきました。これは卵白を多く使っているからです。かかる原材料費は卵黄の方が5倍くらい高いからというのが理由でしょう。間にサンドしているものもいちごではなく、ジャムというメーカーもあります。クリスマスケーキはホールケーキで販売されているのがほとんどなので、カットするまで中がわかりません。飾り付けである程度ごまかせてしまうんですよ。

ところが、こういうケーキが多くあると、それがいつしかスタンダードになり、本物のお菓子と認識されてしまいます。味覚は聴覚と違って”絶対味覚”というものがないんです。3歳くらいまでに食べて育った味を自分の味覚として信じるんです。”お母さんの味”とはよく言ったもので。それまでに本物のお菓子に出会わずにいると、本物のお菓子を食べても違和感を感じてしまうんです。

クリスマスとは別に、いちごにもこだわっています。全国各地からいちごを取り寄せ、本当に美味しいと思うものを厳選しています。それをワッフルに仕立て販売するのと同時に“お客様が選ぶ!!全国いちご選手権”を毎年開催し、どのいちごが一番美味しいのかをきちんと選び抜いています。

高橋:“本物のお菓子づくりの姿勢”というのはどのようにお客様に伝えていますか?

小澤:私どもは派手な広告宣伝はしていません。なので一度召し上がっていただいて、美味しいと感じていただいたお客様の口コミで広がっています。コロンバンの真のファンの方々に喜んでいただくだけで良いと思っています。それが私どもの勝負の仕方なので。

V字回復までの道のり

高橋:小澤さんのご経歴を拝見してきまして、金融出身だそうですが。実際に本日お話してみて、もともとパティシエや製造にかかわってきた方かと思いました。

小澤:はい、金融出身です。ですが、この会社に来てからは徹底的に洋菓子づくり、業界について勉強しました。北海道の酪農家や農林水産省の方たちと会話を重ねたり、工場に出向いたりと色んなところに足を運んで目で見て、話を聞いて、実態をつかむということを徹底的に行いました。洋菓子屋になったのだから、いつまでも金融マンの看板をしょっていても何の意味もないです。洋菓子屋になりきらなければ失礼だと思いました。

高橋:どのような経緯でコロンバンに入社されたのですか?

小澤:もう20年も前のことなのでお話しますが、もともとは経営再建のために銀行から派遣されたんです。

コロンバンは、創業者の門倉國輝が日本人として初めてフランス・パリに渡り、修行をして、パリのコロンバン日本支店という唯一暖簾分けを許された洋菓子店としてスタートしています。その後も門倉は、宮内省より大膳寮員を拝命し、皇族のデザートをお作りし、以来、宮内庁御用達の店として伝統を守ってきました。ところが、門倉の逝去後、徐々に業績は悪化し、私がコロンバンに入社した頃には、ピーク時140億円あった売上が、30億円にまで落ち込んでいました。

創業者の門倉國輝氏

当時の経営は、百貨店が85%、テーマパークへの卸事業が10%といった売上構成で、一事業依存という銀行からきた身としては非常に危険な経営でした。更に、8つあった工場のうち4つを売却しており、当時は今ほど物流が発展しているわけではなかったので、工場近隣の都道府県にしかお届けできなかったので、工場をなくすと、そのエリアのマーケットがなくなり売上が減るという構図でした。工場をなくした分や工場の従業員解雇により経費削減ができているわけなので、減収増益経営でしたが、これを続けていくと最終的には売上ゼロに近づくわけです。そんな時に、この会社の再生をすべきかどうかの判断をするために銀行から派遣され、最初は監査役を務めました。

高橋:見事V字回復されてますが、具体的にどんなことをされたんでしょうか?

小澤:減収増益経営から増収増益経営へ180度変えようと決心しました。そのためには、ヒット商品、新たなマーケットの開拓が必要でした。

例えば、当時よく売れていた100円のワッフルの販売を取りやめました。売れている理由は安いからであり、ワッフルの体積を考えると1個600円のショートケーキと物流・販売コストは一緒なので非常に非効率。ところが店頭の販売員は、「ワッフルしか売れないから」という固定観念があるので、ワッフルしか売らないんですよ。だからワッフルの販売を取りやめたわけですが、それでも内緒で売られていました(笑)

高橋:V字回復への道のりには、働いている社員のマインド変革がキーのように感じます。相当大変だったのではないですか?

小澤:そうですね、大変でしたね。自分たちのお菓子は売れないという負け犬根性がこびりついていましたから。

業績を立て直すために、ヒット商品となるような新商品の開発が必要でした。社員たちは、新商品をつくりたいと言いましたが、前任の社長からは新しいものを生み出さなくてもいいと言われ諦めていた状況でした。そこで私が社長に就任した際に「どんどん新商品の提案をしてほしい」と伝えたんですが、まったく提案が出てこなかったんです。20年間何も作ってこなかったので、新商品を生み出すマインドもノウハウも全くなかったんです。

待っていても仕方がないので、当時東京駅のエキナカにチョコレートのお菓子が売られていないことに着目し、作ろうと提案しました。「銀行から来た人にお菓子なんか作れるわけない」と全く社員には相手にされなかったのですが、銀行時代のお客さん達にも試食してもらって美味しいと太鼓判を押してもらったので、満を持して販売を開始。ところが全然売れなかったんです。

社員からは「ほら見ろ」という顔をされましたが、売り場に行ったらその理由は一目瞭然。売り場の販売員は、百貨店の上品な販売スタイルに慣れており、自ら売りに行こうとはせず、ただ商品が陳列されている売り場でした。新商品なので、まずはどんな商品なのか説明したり、試食しないとお客様も買おうと思いません。私自ら、お客様に試食をお配りしました。そうすると人が集まり、試食をしてみて「美味しいから」と地道にリピートが増え、大ヒット商品になりました。それが『東京サクサクチョコ』です。

このあたりから社員のマインド変革が起きたと思います。成功体験を経て、新商品を生み出していこうという積極的な動きが見えてきました。続けて販売した『原宿ロール』や『原宿焼きショコラ』もすべて億単位のメガヒット商品になっています。おかげで売上利益も伸び、最新設備のある工場や物流センターの建設ができ、安定的に商品を生み出すことができるようになりましたね。

今、洋菓子店に問われる能力とは

高橋:なるほど。今後事業を成長させていくにあたって注力していくことはなんでしょうか?

小澤:経営は、家をつくる考え方と一緒で、柱をたくさん作ることが大事だなと思っています。一事業に依存するのではなく、様々な事業をバランスよく成長させていくという方針です。なので、店舗運営のみならずECも展開していますし、他社がまだ着目していないマーケットも展開しています。

例えば、大学・税理士協会・病院関係・宝塚歌劇団用の商品開発など。マーケットの面を広げると同時に、関係を深化させることができるマーケット、まさに鉱脈を掘る経営もしています。

高橋:「様々な事業をバランスよく」、よくわかります。Cake.jpもこれまでECサイトを伸ばすことに注力してきましたが、これからどういうところが伸びるのか、消費者行動にアンテナをはり、時代を先読みした事業展開が必要だと感じています。

小澤:ただ忘れてはいけないのは本質です。新たに出てくる技術やマーケットは、使いこなせば良いだけで、洋菓子メーカーとして大事なのは、「お客様に選ばれるいいものをつくる」これにつきると思います。

流行ってはすぐ消えて、といった話題性はつくれるが長続きしないお菓子屋や洋菓子店が、コロンバンの本社がある原宿には多いんですよね。今年3月1日にコロンバンは100周年を迎えたわけですが、私どもはそういった一過性のものには一切手を出しません。100年続く企業としての使命は、創業者の想いをきちんと世の中に伝えること。コロンバンの洋菓子は、質が良い。そのため、発売当初からドカンと大ヒットを生むということはないが、徐々にお客様に愛され広まり、結果として右肩上がりになるというのが特徴です。良いものは必ず売れていく、そこに対する自信は揺らぎませんね。

高橋:一過性には2種類あると思っていて、一時期のタピオカブームのような、全く新しいものというパターンと、長年の歴史があり、みんなが知っているものと新しいものが掛け合わされ生まれた一過性というパターンです。

小澤:後者はアリだなと思います。当社も昔大ヒットした『マーブルケーキ』というお菓子を復活させています。『マーブルケーキ』は、今の方々からするとパサパサとした食感なのですが、これに原宿で養蜂したハチミツをあわせて、しっとりとしたケーキに進化させ、人気商品に返り咲きました。

良いものは復活も、変化もさせる。先述のワッフルもそうです。元々ワッフルの販売は、創業者の門倉國輝が、「子どもたちでも買える100円のお菓子をつくってあげよう」というのが発端だったのが、いつのまにか創業者の意思が消えてしまい、ワッフルばかり売れるものだから逆にプチガトーは売らず、結果コロンバン=ワッフル屋になってしまったんです。一時販売を辞めましたが、ワッフルの生地自体はとても美味しいものなので、それを活かして2021年より新たに『ワッフルパレット』というフルーツワッフルの専門店を展開しています。厳選されたフルーツを挟んだワッフルで、価格は1,000円を超えるものもあります。値段があがっても、ちゃんと人気なんです。

『ワッフルパレット』のワッフル

高橋:「良いものは必ずお客様に受け入れられる」という信念を強く感じます。今後の洋菓子業界、どのようになっていくと思いますか?

小澤:これまでの洋菓子店は、クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリーのような世界大会で優勝したといった技術やキャリアがあればお客様を集めることができてましたが、それは洋菓子店がまだ少なかったから可能だった話で。今は石を投げれば洋菓子店にぶつかるんじゃないかというくらいに増えています。さらに、ほとんどの原材料を輸入に頼らざるを得ない洋菓子店は円安問題に直面しています。そして少子高齢化により、人口減つまり口数が減るということなので実際に洋菓子を食べる方が減るわけです。少子高齢化は労働力不足や後継者問題にもつながります。

洋菓子業界をとりまく環境は非常に厳しい。これからの洋菓子店は経営能力が問われていきます。

例えば、町の洋菓子店で売れるのは生菓子(ケーキ等)ですが、生菓子は賞味期限が1日なので、売れ残れば廃棄しなければなりません。つまり赤字な店舗がほとんど。焼き菓子の場合は大体が賞味期限が120日なので歩留まり120日。それなら焼き菓子だけ販売すれば効率よくなるのでは?と思ってもそうは世の中甘くないです。「あそこのケーキは美味しいから、今度は焼き菓子を買ってみよう」とお客様は連想するので、生菓子と焼き菓子のバランスが大事なわけです。このように、技術だけ磨くのではなく、マーケティング能力が長けていないと勝ち残れない時代なのです。

一方で、売ることばかりを考えていては、すぐお客様に見抜かれます。洋菓子メーカーの使命は「世の中の方たちを美味しいお菓子で笑顔に、幸せにすること」。コロンバンは長くお客様に愛される洋菓子作りをこれからも行っていきます。

高橋:本日はお時間いただきありがとうございました。

『コロンバン』は洋菓子に本気で向き合っているからこそ、長年多くのお客様に愛され続けています。創業100年を迎えた今年、渋谷区神宮前6丁目の再開発に伴い2020年に一時閉店していた、サロン・ド・テが7月に原宿の地で復活します。新たな取り組みとして、アフタヌーンティーも展開します。本物の洋菓子を是非堪能してみてください。

コロンバン とは

宮内省大膳寮員を拝命した創業者「門倉國輝」が1924年に創業した日本で初めて本格的なフランス菓子を提供した洋菓子メーカーです。洋生菓子の代名詞となっているショートケーキを考案、今では一般的なものとなったオープンテラス喫茶や洋生菓子実演室付き店舗をいち早く日本に誕生させました。コロンバンは、2024年3月に創業100周年を迎えました。創業以来の歴史と伝統を守りつつ、新しい時代の変化も取り入れ、お客様に感動していただける商品とサービスを提供してまいります。

コロンバン代表取締役社長 小澤俊文氏プロフィール

1953年神奈川県生まれ。法政大学卒業。

1976年三和銀行(現三菱UFJ銀行)に入行。支店長や公務法人部長、参与などを経て、2004年株式会社コロンバンの監査役に就任、経営改革に携わる。2006年より現職。