
東京・神田淡路町で140年以上の歴史を重ねる「近江屋洋菓子店」。パン屋から始まり、現在ではケーキをはじめとする洋菓子を提供する老舗ですが、実は約100年前からアイスも自社で作り続けています。

今回は、5代目店主・吉田由史明(よしだ・よしあき)さんに、近江屋洋菓子店が守り続けてきたアイスの味、老舗を受け継ぐ中で変えてきたこと、そしてこれからのアイスについて話を聞きました。
目次
夏に楽しめるものを――約100年前から続くアイス作り
近江屋洋菓子店がアイスを作り始めたきっかけは、夏になるとケーキの需要が落ちるため。「暑い時期にもお客様に楽しんでいただける商品を」という思いから、約100年前にアイス作りが始まったといいます。
もともとパン屋からスタートした近江屋洋菓子店には、「洋菓子店だから、これを作らなければいけない」という固定観念があまりありません。
吉田さんも、「お客様が求めるものに柔軟に応えていく」という考えを大切にしています。
アイスと洋菓子で、作る際の考え方に大きな違いはありません。
「私たちにとっては一日にたくさん作る商品の一つでも、お客様にとっては、その一つが大切なお菓子です」
ケーキでもアイスでも、一つひとつを丁寧に作る。その姿勢は、今も変わりません。
「毎日でも食べられる」シンプルな味
近江屋洋菓子店らしいアイスについて、吉田さんは「流行を追った味ではなく、毎日でも食べられるような、安心できるシンプルな味」と話します。
アイスはシンプルなお菓子だからこそ、素材の良し悪しが味に表れます。そのため、できる限り上質な材料を使い、牛乳なら牛乳、フルーツならフルーツそのものの味を大切にしています。
目指しているのは、フレッシュでシンプルでありながら、しっかりとしたコクのある味。イメージするのは、牧場で飲む搾りたての牛乳のような、素材そのもののおいしさです。
製造では、原材料を配合し、加熱・殺菌、冷却した後、フリーザーで凍結。容器に充填して低温で硬化させます。






特に気を遣うのが殺菌と温度管理。安全性はもちろん、温度によって品質や色味も変化するため、製造から保管まで細かく管理しています。
一方で、現在は機械の性能も高く、「職人の勘だけに頼る」のではなく、誰が作っても同じ品質になることを重視しています。
「変えないこと」も進化
吉田さんが店を受け継いでからも、基本的な材料や目指す味は大きく変えていません。
「美味しいと思っているものに関しては、変える必要がないと思っています」
機械は進化していますが、レシピそのものを無理に変えることはしない。むしろ機械の進歩によって、品質の安定性という意味では昔より良くなっている部分もあるといいます。
象徴的なのがスポンジです。
現在主流となっている、蜂蜜などを加えたふんわり柔らかなスポンジとは異なり、近江屋洋菓子店のスポンジは卵・小麦粉・砂糖というシンプルな材料で作られています。
「今食べる人からしたら、硬い、パサパサしていると言われがちです。でも、これが僕たちの味なんです」
世の中の流行に合わせることだけが進化ではない。吉田さんは、「変わらないことも進化」だと考えています。
「お客様ファースト」だけではない経営
最終原稿0828近江屋洋菓子店様原稿確認
一方で、変えてきたこともあります。その大きな一つが、スタッフの労働環境です。
「お客様はもちろん大事。でも、スタッフも自分もボランティアではない。僕らも幸せになりたい」
現在は残業時間を大幅に減らし、スタッフの給与面も含め、働く側が豊かになれる環境を目指しています。
その背景には、菓子業界全体への問題意識もあります。
「人を雇っている以上、経営者がプレイヤーとして自分だけ働けばいい、という話ではない」
労働時間を減らし、給与を上げる。そうしなければ、将来的にパティシエを目指す人そのものが減ってしまう――。それは自分の店にとってもデメリットになると考えています。
「誰かのため」だけではなく、自分にもメリットを
吉田さんは、「お客様のため」「スタッフのため」という言葉にも慎重です。
誰かのためだけに始めたことが、必ずしも成功するとは限らない。
だからこそ、「自分自身にもメリットがあるからやる」という考えを持っています。
その結果として、お客様にも、スタッフにも、店にもメリットが生まれる。
これは吉田さんが目指す「全員が幸せになる経営」にもつながっています。
一度手放した商品を、もう一度お客様へ
経営を変える中では、シュークリームやプリンなど、単価が低く製造に時間がかかる商品をやめた時期もありました。
スタッフの給与を上げ、残業を減らすためには、すべての商品を作り続けることは難しかったからです。
しかし現在は設備投資も進み、「以前は提供を続けることが難しかった商品も、環境が整ってきた今だからこそ、もう一度お客様に楽しんでいただきたい」と考えています。
その一つが、シュークリームやプリンの専門店、あるいは百貨店で期間限定販売するような展開。
利益を増やすことだけが目的ではありません。
「今まで我慢してくれたお客様に、還元していきたい」
そんな思いが、新しい展開につながっています。
実はかなりのアイス好き
吉田さん自身、実はかなりのアイス好き。
ハーゲンダッツ、牧場しぼり、明治 エッセル スーパーカップ、ガリガリ君など、コンビニやスーパーで販売されているアイスから、牧場のアイスまで幅広く食べています。
さらにシェイクやスイーツも好きで、価格帯にはあまりこだわりません。
「高かろうが安かろうが、美味しいものは美味しい」
安くて美味しいものにも価値があり、高いものでも、その価格に見合う価値があれば評価する。商品を見るときには、価格ではなく「その価値」を見ています。
SNSは「自分の武器」に
吉田さんがSNSを始めたのも、明確な理由があります。
「自分の武器が欲しかったんです」
先代と同じ土俵で戦っても、長い歴史を持つ近江屋洋菓子店そのものには勝てない。だからこそ、自分の世代ならではの戦い方を考えました。
SNSが現在ほど一般的になる前から、さまざまなサービスに触れてきた吉田さん。自ら始めたSNSは、今では店にとって一つの「武器」になっています。
実際、ソフトクリームの動画などをきっかけに、これまで店を知らなかった若い世代が近江屋洋菓子店に興味を持つこともあります。
「どれだけ美味しいものを作っても、知られていなければ売れない」
経営者になった以上、菓子作りだけでなく、マーケティングや発信についても学ぶ必要があると考えています。
「生ソフトクリーム」という新たな挑戦
そして、今回特に注目したいのが、吉田さんが構想している「生ソフトクリーム」です。

現在導入を進めている機械を使い、通常のソフトクリームのように硬化させず、できたての柔らかな状態で提供する構想。

ただし、本店の店頭で販売する予定はありません。
吉田さんが考えているのは、屋台などの路面で「生ソフトクリーム」を提供するスタイルです。
これは単なる新商品ではなく、「その場所に行かなければ食べられないものを作る」という、今後の店舗展開にもつながる考え方です。
2号店は「本店のコピー」にしない
将来的な店舗展開についても、吉田さんには独自の考えがあります。
「本店が1,000万円売れるから、2号店も1,000万円売れる」と考えるのではなく、2号店には「そこに行かないと買えないもの」を置く。
例えば、地域限定の商品や缶詰、ソフトクリームなど、本店とは異なる魅力を持たせる。
「本店のコピーを作る」のではなく、その場所に行く理由を作る。
これも吉田さんが考える、これからの近江屋洋菓子店の形です。
これから作りたいのは「近江屋らしい、新しいアイス」
アイスについても、吉田さんの頭の中にはさまざまな構想があります。
クリームチーズ、カカオ、スパイス、オリーブオイル、麻辣など、これまでの近江屋洋菓子店にはなかった素材にも興味を持っています。
なかでも印象的なのが「蕎麦の実のアイス」。
神田・淡路町という土地柄から、地域にある蕎麦文化とアイスをつなげることで、新しいストーリーが生まれるのではないかと考えています。
ただ、アイスは夏に需要が集中するため、いきなり主軸にするのではなく、設備や人材への投資とのバランスを見ながら少しずつ進めていく考えです。
100年先にも残すために、変える。そして変えない
近江屋洋菓子店では、子どもの頃に食べていたお客様が大人になり、今度は自分の子どもと一緒に訪れることも珍しくありません。

「子どもの頃、近江屋のアイスを一人で食べきれなくて親に食べてもらっていた。今は自分が親になって、子どもが食べきれなかったアイスを自分が食べている」
そんなお客様の言葉が、吉田さんの心に残っているといいます。
世代を超えて受け継がれていく味。
その一方で、すべてを昔のまま残せばいいわけではありません。
「この店に、残さなきゃいけないものなんてない」と先代から言われてきたという吉田さん。
変わるべきものは変える。残すべきものは残す。
そして、「変わらないことも進化」だと考える。
約140年続く近江屋洋菓子店のこれからは、過去を守るだけでも、流行を追いかけるだけでもない。
昔から変わらないシンプルな味を大切にしながら、SNSや新しい商品、そして「生ソフトクリーム」のような新たな挑戦を重ねていく。
吉田さんが目指しているのは、特別な日にだけ食べるアイスではなく、「日々の生活のお供になるアイス」なのかもしれません。
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